* 風の言霊 *







 紀元前11××。
 殷の皇帝が病で死んだ時、皇后は死後の付き人の数を増やすように指示した。  たしなめようとする家臣達を見て、皇后の瞳が金色に変わった。

「―――では、異民族を捕まえてくればいい。
 殷族でなければいいだろ?」

 皇后の妖しげな術により、異民族である羌族の村は人狩りにあい、村は焼かれた。
 それは幼い12歳の呂望の目の前で、行われたことだった。





 その後のことは呂望はよく覚えていない。
 燃えくすぶる草。
 風に漂う血の匂い。
 誰もいなくなった村の焼け跡。

 そして
 からっぽの心だけが
 残っていた。



 それから呂望は歩いている。
 ふらふらと・・・。
 その目は何も映していず、心も何も感じてなかった。まるで糸の切れた人形のように動くだけ。

 父上・・・
 母上・・・
 兄様・・・
 妹よ・・・

 時折、命の消えて死まった者の名を呼びかける。しかし、その声は風が消してしまった。

 あの時・・・。
 呂望のそばにいた女のように、走ればよかったのか?
 一緒に死ねばよかったのか?
 そうすれば、今の絶望を味わわずに済んだかもしれない。

 呂望の頭は、殷の軍隊が村に来、村を焼き払った時を繰り返し繰り返し見せる。それを見るごとに呂望は暗い闇に堕ちていくのだった。

「どこへ行くんです?」
 風に乗ってどこからか声がした。それは上の方から聞こえたものだった。だが呂望は振り返らす、歩き続ける。

 どこへ?
 行くところなどどこにもない。
 いや、どこへでもいけるのだ。この先へも死へも。

「・・・どこへでも」
 呂望は答えた。

「そのまま進めば、崖になりますよ」
 声の主は親切に注意した。
 それでも呂望は歩くことをやめず、進み続けていた。その様子に声の主は、溜息をもらした。

「歩くのをおやめなさい」
 今まで上から聞こえてきた声は、今度はすぐ後ろから聞こえた。そして近づく足音。

「あなたにはやることがあるでしょう」

 そういって後ろから呂望の両肩を掴んだ。やっと呂望が気が付くと、もう目の前は崖だった。後一歩で落ちていただろう。だが呂望は礼も言わず、ただ呆然としている。
「・・・やること・・・?」
「ええ」
 声の主は手に力を込め、呂望を座らせた。
 目の前に草原が小さく見えた。緑の草原・・・しかしある一部分は黒く目立っていた。そこは・・・焼けた羌族の村のあったところだ

「・・・やることとはなんなんです?」
 肩にまだ手を置く声の主に聞く。
 現実を見せたことに、声に怒りが入る。そして腹の底から黒いものが出てくる。それは爆発前のマグマのように沸々と呂望の内部を浸食していく。

「あなたは・・・羌族の者ですね」
 同情も哀れみもない声だった。

「・・・・・そうです」

「あなたは今、憎しみを持つよりやることがあるでしょう」
 そういうと目の前が暗くなった。
 声の主のグローブをはめた手が呂望の視界を奪ったのだ。

「な・・・!?」
 驚く呂望に、声の主はさらに言葉をかける。

「今、あなたがしなければいけないことは
悲しむことですよ」

「・・・・・・・・・・かなしむ?」

 かなしむ?
 カナシム?
 悲しむ
 哀しむ・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 言葉が呂望に染み込んでいく。
 意味を理解し、何も映さなかった目が、徐々に光を取り戻していった。



 そして
 ゆっくりと、感情が動き出した。



 呂望の中から、少しずつ少しずつ熱いものが出てくる。まるで心が洪水を起こしたように、次か ら次に溢れ出し、目からはらはらと流れていった。

「あ・・・あぁぁぁああぁ・・・」

 呂望の口から嗚咽かもれる。
 やっと。
 呂望は悲しみを感じ取る心を取り戻したのだ。

「ああああ・・・!!」

 もう会えぬ愛しい家族を思った。
 そばにいた村の者を思った。
 今までの幸せだった時間を思った。
 思い出は優しく、そして冷酷に呂望の中を駆けめぐる。呂望は膝を丸め、まるく胎児のようにうずくまる。

 呂望の目を閉ざしていた手は、気が付けば呂望の頭を撫でていた。
 やさしく。
 優しく。

 それは父に撫でてもらったように。
 母に撫でてもらったように。

 その感触にまた、呂望は涙を流した。

 泣いて泣いて。
 たくさん泣いて、やっと泣きやみ顔を上げた時には、後ろにいた声の主は消えていた。
 元々、ここには呂望しかいなかったように。
 たた、優しい声だけを呂望に残して。

 風だけが吹いていた。

「めずらしいね。人に興味持つなんて」
 空に翔け昇る白い霊獣が聞いた。するとその背に乗っている、さっきまで呂望のそばにいた声が答える。
「・・・声がね」
「声?」
「ええ。声が聞こえたんですよ」
 霊獣は考え込む。千里を聞き、千里を見渡せる能力を白い霊獣は持っている。
「ボクには聞こえなかったよ・・・」
 拗ねたような声に、妙な道化の服を着た声の主が優しい笑みを浮かべた。

「風がね、内緒で教えてくれたんですよ」


02/11/21 ★ MAGIC CHANNEL / キル